節分の本 第6章
第5章では、豆を年の数だけ食べる習わしを見ました。節分には豆まきのほかに、鰯の頭を柊などの枝に刺して戸口に飾る習わしもあります。この本ではこれを柊鰯と呼び、いつまで飾るのかを県や博物館の資料からたどります。
三重県の県史編さんの記事は、この習わしを「ヤイカガシ(焼嗅)」として紹介しています。節分の夜に鰯の頭などを焼いて柊などの木に刺し、戸口や窓の外に挿すもので、県内の多くの地域で見られるそうです。柊のとげと魚を焼く強いにおいで、悪霊を追い払おうとするものだと説明されています。
同じ記事によると、魚は鰯のほかにタツクリが多く、志摩地方から東紀州ではボラやエビ、サンマなども使われました。木は柊や豆木が多いものの、この地域では椎やウバメガシ、竹、杉、檜も使われたそうです。
呼び名も土地ごとに違います。志摩地方の大部分では「アラクサ」、東紀州では「オニノメツキ(鬼の目突き)」と呼ばれました。名張市などでは「イタイクサイ」、伊賀の一部では「オニカザリ(鬼飾)」と言い、呼び名にはかなりはっきりした分布があると記事は述べています。
相模原市立博物館の職員ブログは、同じような習わしを「ヤッカガシ」として紹介しています。豆を取ったあとの枝であるマメガラにイワシの頭を刺したもので、ヒイラギの枝に刺す地域や家もあったそうです。豆を炒るときには唱え言葉とともに火であぶったと書かれています。
同じ記事によると、ヤッカガシには作物を虫から守る意味や魔よけの意味があるとされ、家の玄関や物置の戸口などに置かれました。山形県の寒河江市の紹介にも、焼いた田作りの頭を戸口に挿して豆をまくと、邪気を払うと言い伝えられているとあります。
では、いつまで飾るのでしょうか。相模原市立博物館のブログには、市内のある家の写真が載っています。その家の玄関の軒下には、それまでの何年分ものヤッカガシが挿されていたと書かれています。毎年外すのではなく、挿したまま残しておく家もあったことがわかります。
江戸時代の後期には、各地の節分の様子を尋ねる調査も行われました。国立国会図書館の「本の万華鏡」によると、幕府の役人が中心となって各地の風俗を尋ねた問状に「節分豆まきの事」という項目があり、鰯の頭を柊などに刺すかどうかが尋ねられています。各地の答書からは、地域ごとの節分の風習の違いがうかがえるそうです。
今回確かめた資料には、柊鰯を何日まで飾るかという全国共通の決まりも、外したあとの扱い方も書かれていませんでした。魚も木も呼び名も、飾っておく期間も、地域や家の習わしによって違います。次の章では、恵方巻きの由来と恵方の決め方を取り上げます。
参考:三重県「節分行事あれこれ 薄れる「年頭」感覚」/相模原市立博物館の職員ブログ「写真で見る相模原 昭和・平成の生活と民俗」(No45・節分)/寒河江市「節分・豆まき」/国立国会図書館「本の万華鏡 第21回 大豆 第1章 節分と豆まき」
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