豆まきの豆を年の数だけ食べる理由

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節分の本 第5章

第4章では、豆まきに落花生を使う地域を見ました。豆まきのあとには、豆を自分の年の数だけ食べる習わしも各地に伝わっています。この章では、なぜ年の数だけ食べるのかを、自治体や博物館の資料からたどります。

相模原市立博物館の職員ブログは、節分は「年越」や「年取り」の日と言われ、立春の前日として暦の上でも大切な日だと書いています。同じ記事は、「鬼は外、福は内」などの唱え事や、まいた豆を年の数だけ食べることは、今も多くの人が知っていると紹介しています。

節分が年越しと呼ばれる理由は、三重県の県史編さんの記事からうかがえます。第2章でも触れたとおり、昔は立春から新しい年が始まると考えられ、節分は年を迎える行事として大切にされていました。

同じ記事によると、三重県内の各地にはこの日を「年越し」や「豆年越し」と呼ぶ例があります。記事はこの呼び方を、「節分までは旧年」という暦の意識の表れとしています。改暦のあと、立春と新年を重ねる感覚は薄れてきたとも書かれています。

ただし、豆を年の数だけ食べる理由をはっきり説明した記述は、今回確かめた資料にはありませんでした。わかるのは、節分を年越しや年取りの日とみる言い方があり、その日に年の数の豆を食べる習わしがあることです。

年の数え方にも土地による違いがあります。三重県の記事は、まく「打ち豆」と食べる「数える豆」を分ける地域が多いと紹介しています。数える豆は、年齢より1粒多く食べる地域が多いそうです。

伊賀地方では、その1粒を「厄払い」や「鬼の豆」と呼んで肩越しに投げ、残りを食べる習わしが報告されています。年齢と同じ数を食べるのか、1粒多く食べるのかは、地域によって違うことがわかります。

山形県の寒河江市の紹介には、年の数だけ豆を食べると一年を無病息災で過ごせるといわれている、と書かれています。これは、その土地で伝えられてきた言い方として紹介されているものです。

相模原市立博物館の記事は、ほかの言い伝えも紹介しています。その年に初めて雷が鳴ったときに、とっておいた豆をまいたり食べたりするというものです。節分の豆には、まいて食べるだけでなく、さまざまな使い方が伝わっていたようです。

豆を年の数だけ食べる習わしは広く知られていますが、数え方や言い伝えは土地によって違います。次の章では、柊鰯をいつまで飾るかを取り上げます。

参考:三重県「節分行事あれこれ 薄れる「年頭」感覚」/寒河江市「節分・豆まき」/相模原市立博物館の職員ブログ「写真で見る相模原 昭和・平成の生活と民俗」(No45・節分)

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