オトスミ文庫
ささやかな出会いと距離を描く恋愛小説
駅前の定食屋で、毎週木曜に相席になる無口な常連の男性。会話のないまま続いた三か月の末に、私の伝票の裏へ細い字が残されていた。
友人の二次会で受付の席が隣になった。名前を聞いたのは、集めた会費を封筒に入れ終えてからだった。
引っ越し前日の空き部屋で、後輩の僕は先輩に告白した。手順書を読み上げる形になり、先輩は段ボールにもたれて肩を揺らし続けた。
終電を逃した夜に、恋人と最寄りの一つ手前の駅から家まで歩くことになった。大阪の話は、まだ誰の口からも出ていない。
日曜の午後、カフェで本を読んでいたら、隣の席で別れ話が始まった。聞くつもりはなかったのに、口を挟んでしまった。
毎日、昼どきに混み合う蕎麦屋で、いつも同じ人と相席になる。名前も知らないのに、わたしはその人の箸の持ち方まで覚えてしまった。
会社のコピー機の前に、毎朝付箋が一枚貼られている。差出人は分からない。ただ、その一言を読むことが、一日の始まりになっていた。
夜のコインランドリーで十年ぶりに再会した元同級生。乾燥機が止まるまでの四十分間、ふたりの会話は少しずつ昔の距離を取り戻していく。
毎朝、向かいのホームに立つあの人と、ペットボトルで合図を交わす。名前も声も知らないまま続いた、ひとつの季節の話。