駅前の定食屋は、昼になるとすぐ満席になる。私は毎週木曜の十二時十五分に、窓際の四人掛けの奥へ座る。少しして、向かいに同じ男性が座る。四十前後で、いつも紺のジャケットを着ている。店主は注文を取るとき、客の顔を見ない。そこも気楽でいい。もう三か月、これが続いている。
会話はない。注文のときに私が「生姜焼き」と言い、彼が「同じで」と言うくらいだ。私はスマホを見るふりをして、彼は壁の品書きを読むふりをする。私の席からは、彼の箸を持つ手だけがよく見える。醤油差しが手前に寄ったときだけ、どちらからともなく会釈をする。お互いに相手がいないことになっている。その取り決めを、私は案外気に入っていた。
ある木曜、彼は私より先に食べ終えた。いつもは私のほうが早いのに、その日は味噌汁まで飲み干していた。椅子が鳴って、顔を上げそうになり、こらえた。足音が遠ざかる。残ったのは冷めかけた生姜焼き定食と、卓の端の伝票だけだった。八百五十円。
会計に立つ前に、何気なく伝票を裏返した。細い字で一行あった。
「七味、かけすぎです。先週もむせていました。」
先週むせたのは事実だ。咳き込んで、水を二杯飲んだ。あれを見られていた。気にしないふりをしていたのは、私だけだったのかもしれない。顔が熱くなって、私は七味のせいにした。
レジの女性は、伝票の裏をちらりと見て、何も言わなかった。それがいちばんこたえた。店を出てからも、字を何度も思い返した。ボールペンの細い字で、止めも払いも整っている。怒っているのか、心配なのか、一行では決まらない。ただ、他の客ではなく私の伝票だった。
金曜の会社で、私は一日じゅう上の空だった。部長の話より、あの句点のほうが気になった。注意にしては丁寧で、親しいにしては他人行儀だ。同僚に見せるわけにもいかない。見せれば「七味の人」と呼ばれて終わる。
その一週間、私は七味を見るたびに落ち着かなかった。コンビニの弁当に付いていた小袋を、隣の席の同僚にあげた。それでも木曜は来る。曜日は、頼んでも動いてくれない。水曜の夜には、下書きを三枚作った。一枚目は丁寧すぎて、二枚目は馴れ馴れしく、三枚目は七味の話しかしていなかった。全部、丸めて捨てた。
次の木曜、十二時十五分。窓際の奥の席は空いていて、向かいにはまだ誰もいなかった。注文を済ませ、鞄からボールペンを出す。伝票を裏返す。白い面に、ペン先を寄せる。
書くことは、もう決めてある。
ペン先は、紙の一センチ上で止まっている。
