一級国道は、五十七号まで増えた

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国道に五十九号から百号はない 第3章

『国道に五十九号から百号はない』の目次:国道に五十九号から百号はない

一級国道の番号は、昭和27年の政令で四十号まで付いた。その列が初めて伸びたのは、六年後のことだ。

昭和33年6月、衆議院建設委員会で二級国道を一級国道に上げる要望を問われ、建設大臣は「大体十線か十一線くらいの問題が出ておる」と答えた。同時に、二級を一級に上げれば「一級国道を整備するという計画そのものに大きな変動を来たして参ります」とも述べた。

9月16日の参議院建設委員会では、道路局長が、その日の午後に審議会へ諮問すると説明した。対象は二級国道のうち三本、名古屋−富山線、和歌山−津線、大阪−神戸線。一級国道への昇格は「制定以来今回初めて」だとも述べている。

日本法令索引によれば、その月の30日に政令第281号が公布され、一級と二級の両方の政令を改正した。国立公文書館に残る御署名原本を見ると、一級の別表は四十号の項が書き改められ、そのあとに三つの項が並ぶ。四十一号は名古屋市から富山市、四十二号は和歌山市から津市、四十三号は大阪市から神戸市。附則は、施行を昭和34年4月1日とした。翌年2月の衆議院建設委員会で、道路局長は三本が昇格し「四月一日の新年度からは、一級国道として取り扱う」と説明している。

二度目は昭和37年だ。2月の衆議院建設委員会で、道路局長は前回を振り返り、「たしか三十三年に四十一号線と四十二号線と四十三号線と三本昇格」したと述べている。3月の衆議院内閣委員会では、道路局次長が、一級国道への昇格要望が六十四路線、二級国道への昇格要望が百二十八路線あると答え、「まだ調査の段階」だとした。5月7日には参議院建設委員会で道路局長が、「五月一日付の政令で一級国道及び二級国道につきまして、それぞれ昇格公布されております」と述べた。

これが昭和37年5月1日の政令第184号で、題名は「一級国道の路線を指定する政令等の一部を改正する政令」。原本の第一条には「別表四十三号の項の次に次の十四項を加える」とある。続く表は四十四号の釧路市から根室市で始まる。仙台か盛岡を起点とする路線が四本あり、四十五号は仙台市から青森市、四十六号は盛岡市から秋田市、四十七号は仙台市から酒田市、四十八号は仙台市から山形市。四十九号は平市(いまのいわき市)から新潟市、五十号は前橋市から水戸市、五十一号は千葉市から水戸市、五十二号は清水市から甲府市。西へ移って、五十三号は岡山市から鳥取市、五十四号は広島市から松江市。四国の二本は五十五号の徳島市から高知市と、五十六号の高知市から松山市で、最後の五十七号は大分市から長崎市だった。附則によれば、施行は昭和38年4月1日。第二条は二級国道の政令も改め、二級の別表には二百七十号の項まで並んでいる。

こうして一級国道は四十号から四十三号へ、さらに五十七号まで伸びた。どちらの時も、一級に上がった路線には四十号の先の二桁の番号が付いた。二級は百一号から始まる三桁で、こちらも別に伸びていた。二つの番号の列は、まだ並んで続いていた。

参考:国会会議録 第29回国会 衆議院建設委員会(1958年6月27日)/国会会議録 第29回国会 参議院建設委員会(1958年9月16日)/国会会議録 第31回国会 衆議院建設委員会(1959年2月4日)/国会会議録 第40回国会 衆議院建設委員会(1962年2月9日)/国会会議録 第40回国会 衆議院内閣委員会(1962年3月23日)/国会会議録 第40回国会 参議院建設委員会(1962年5月7日)/日本法令索引「一級国道の路線を指定する政令の一部を改正する政令」(昭和33年政令第281号)/日本法令索引「一級国道の路線を指定する政令」/国立公文書館デジタルアーカイブ「一級国道の路線を指定する政令の一部を改正する政令・御署名原本・昭和三十三年・政令第二八一号」/国立公文書館デジタルアーカイブ「一級国道の路線を指定する政令等の一部を改正する政令・御署名原本・昭和三十七年・政令第一八四号」

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