国道に五十九号から百号はない 第5章
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昭和41年2月、衆議院建設委員会で委員が、大分から熊本を通って長崎へ行く国道を「昔の一級国道五十八号線ですか」と尋ねた。委員は長崎から「海を渡って三角に上陸して」熊本を抜ける道だと言い直し、道路局長は「五十八号線だと記憶しております」と答えている。前の年に施行された一般国道の政令では、大分市から長崎市までの路線は五十七号で、熊本市や島原市が重要な経過地に並ぶ。このとき、別表に五十八号の行はなかった。
五十八号が加わったのは、沖縄の本土復帰のときだ。昭和47年4月25日、参議院予算委員会の分科会で、委員が道路審議会の答申について尋ねた。建設省道路局の地方道課長は、答申を受けた国道五十八号は「鹿児島市と那覇市を結ぶもの」で、道路法第五条第一項によって認定すると答えた。続けて「海上はやはり海上ルートを通りまして国頭村から那覇へ至るもの」と説明している。今回の答申は沖縄本島内の国道の指定についてだ、とも述べた。
5月10日の参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会では、委員が途中の奄美大島も通すべきではないかと尋ねた。政府委員は、今回は「沖繩の国道指定のみに限りまして、その他の部分については全く触れない」のが原則だと答えた。
政令は4月28日に公布された。日本法令索引では昭和47年政令第116号で、題名は「沖縄の復帰に伴う建設省関係政令の改正に関する政令」。国立公文書館の御署名原本を見ると、第一条は一般国道の政令の「別表五十七号の項の次に次の一項を加える」と書く。加わった五十八号は、起点が鹿児島市で終点が那覇市。重要な経過地には沖縄県国頭郡国頭村と名護市、宜野湾市(大山)と浦添市(屋富祖)が並ぶ。同じ条で、三百二十八号の項の次に三百二十九号から三百三十二号の四項も加えた。第二条の表では、五十八号は沖縄の道路法による「政府道一号」と同じものとされた。附則は施行を沖縄返還の協定が効力を生じる日とし、その日を括弧で「昭和四十七年五月十五日」と書いている。
翌年4月の衆議院建設委員会で、建設省道路局長は沖縄の国道について「国道五十八号線という、もと一級国道並みの番号で沖繩を南北に縦貫する道路が一本」と説明した。ほかは三百二十九号から三百三十二号の三けたの道路だ、とも述べている。2026年10月9日時点のe-Gov掲載の政令では、五十八号の重要な経過地に鹿児島県の西之表市や名瀬市(政令の表記)なども並ぶ。
五十八号は、五十七号の次にあった二桁の番号に入った。その番号を選んだ理由は、政令第116号の文言にも、ここに挙げた会議録の答弁にも出てこない。五十八号が加わったあとも、別表で五十八号の次の行は百一号のままで、五十九号から百号までは空いている。空いた番号は、百を超えた先の三桁の列にもある。
参考:国会会議録 第51回国会 衆議院建設委員会(1966年2月25日)/国会会議録 第68回国会 参議院予算委員会第四分科会(1972年4月25日)/国会会議録 第68回国会 参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会(1972年5月10日)/国会会議録 第71回国会 衆議院建設委員会(1973年4月4日)/日本法令索引「沖縄の復帰に伴う建設省関係政令の改正に関する政令」(昭和47年政令第116号)/国立公文書館デジタルアーカイブ「沖縄の復帰に伴う建設省関係政令の改正に関する政令・御署名原本・昭和四十七年・政令第一一六号」/国立公文書館デジタルアーカイブ「一般国道の路線を指定する政令・御署名原本・昭和四十年・政令第五十八号」/e-Gov法令検索「一般国道の路線を指定する政令」
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