お彼岸の本 第3章
第2章では、彼岸の中日が今の暦では春分と秋分の日にあたることを確かめました。この章では、お彼岸がどんな考え方とつながっているのかと、お彼岸に何をするのかを公的な資料で見ていきます。
国立天文台暦計算室の暦Wikiは、彼岸を仏教に由来する暦注として紹介しています。
同じ暦Wikiによると、江戸時代に暦を作った渋川春海は、貞享二年の暦には彼岸を載せませんでした。翌年の貞享三年の暦から、彼岸を載せるようになったそうです。
では、なぜ彼岸は春分や秋分のころに置かれているのでしょうか。暦Wikiは、彼岸と此岸(しがん)、天と地の対比といった考え方から、昼と夜が等分になる日に結びついているようだと説明しています。
ここで暦Wikiは「ようだ」という言い方をしていて、理由を一つに言い切ってはいません。昼と夜の長さそのものについては、後の章で取り上げます。
時代をさかのぼると、平安時代の初めの記録にも、春と秋に7日ずつ行われた仏事が出てきます。国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている『国史大系』第3巻には、『日本後紀』巻十三が収められています。
その大同元年(806年)三月辛巳の条には、崇道天皇のために、諸国の国分寺の僧に「春秋二仲月別七日」、つまり春と秋の仲月にそれぞれ7日間、金剛般若経を読ませたと記されています。
ただし、この条文に「彼岸」という言葉は出てきません。春と秋に7日間という形は今のお彼岸と似ていますが、この記録だけでお彼岸の始まりと決めることはできません。ここでは、そうした記録があることの紹介にとどめます。
次に、お彼岸に何をするのかを見てみます。農林水産省の「春の和菓子ぼたもち」は、春のお彼岸を春分の日をはさんだ7日間と説明しています。
そのうえで、真ん中の春分の日に墓に参り、仏壇へぼたもちを供えて先祖を供養する習慣があると紹介しています。お墓参りと仏壇へのお供え、先祖の供養の三つが、このページで挙げられているお彼岸の過ごし方です。
同じページは、お彼岸にぼたもちを食べるならわしが根づいたのは江戸時代だといわれていると書いています。あずきの赤い色には邪気を払って災難から身を守るという意味があり、昔は貴重だった砂糖を使ったものを供えることには先祖への感謝を伝える意味合いもあるそうです。
このページの説明は、春のお彼岸と春分の日を中心にしたものです。春分の日については、祝日法で「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日とされていることにも触れています。
お彼岸の中日は、こうして国民の祝日とも重なっています。次の章では、その祝日のほうに目を向けます。
参考:国立天文台暦計算室 暦Wiki「雑節とは?」/農林水産省「春の和菓子ぼたもち」/国立国会図書館デジタルコレクション『国史大系』第3巻(日本後紀 巻十三)
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