お正月の本 第5章
第4章では初詣の日取りを見るなかで、松の内に何度か触れました。この章では、松の内はいつまでなのかを資料からたどります。
松の内は、正月に門松を立てておく期間を指す言葉です。国立国会図書館のレファレンス協同データベースにある江戸東京博物館の回答は、門松や松飾りを飾っておく間を「松の内」などと呼ぶと説明しています。
東京の神社をまとめる団体の案内によると、門松はその年の神さまを迎えるための目印だとされます。同じ案内は、竹を松で囲んで荒縄で結ぶ形が今は一般的だとしたうえで、関西方面には松の小枝に半紙を巻いて水引をかけた門松などもあると紹介しています。飾りの形にも土地による違いがあるわけです。
では、松の内はいつまでなのでしょうか。先の博物館の回答によると、門松を外す日は所によって違います。早いところで1月4日、ほかに1月7日や15日が多いようだと説明されています。
神社の団体の案内は、正月飾りを外す日を1月7日に定めている地方が多いとし、元日から7日までを「松の内」と呼ぶとしています。7日が広く知られている一方で、全国で一つの日に決まっているわけではありません。
関東は7日、関西は15日という言い方もよく聞きます。江戸・東京については、昔は15日に納めていたが今は7日(または6日)が普通だと書いた本が多い、と博物館の回答は紹介しています。
その背景の一つとして挙げられているのが、江戸時代の幕府の触れです。寛文2年(1662年)に幕府は、町中の松飾りを正月7日までに取り払うよう命じ、町中での左義長も禁じたとされます。回答は、これを防火のためだったかもしれないと添えています。
関西については、2023年の新聞のコラムが、大阪では15日までを松の内とし、7日を過ぎても町に門松やしめ縄が見られると伝えています。ただし、これは大阪の様子を伝えたもので、関西のどこでも同じだと示すものではありません。
関東と関西で線を引いて一律に決めることもできません。博物館の回答が示すとおり、外す日は土地によって4日、7日、15日と幅があります。
東京の中にも違いがあったことは、練馬区教育委員会の冊子からうかがえます。昔の農家の正月行事をまとめた記事には、7日に門松を片づけて七草がゆを食べ、15日に小正月を祝ったとあります。
同じ記事には、かつては2月1日の旧正月を祝う家も多く、こちらを正月として三が日を休む家もあったと書かれています。同じ地域でも、家によって正月の数え方が違っていたことがわかります。
門松をいつまで飾るかは、その土地で松の内がいつ明けるかとほぼ重なります。博物館の回答によると、外した門松は「どんど」と呼ばれる行事で焼かれるのが一般的で、その日は1月7日や小正月(1月14日・15日)だそうです。
日付に迷ったときは、住んでいる地域の行事の案内や、家で続けてきた日取りを確かめるのが確実です。松の内が明けると、第2章で見た鏡餅を下ろす鏡開きが続きます。次の章では、鏡開きはいつするかを整理します。
参考:国立国会図書館 レファレンス協同データベース「門松はいつ片づけるか。」(江戸東京博物館)/東京都神社庁「四季の祭りと行事(1)」/練馬区教育委員会「ねりまの文化財」第10号(1991年)/日本経済新聞「正月・松の内は7日?15日? 関西と関東、なぜ違う」(2023年1月8日)
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