三日降り続いた雨で、川は朝から止められていた。甚吉は状箱を肩から下ろして宿の上がり框に腰を落としたが、草鞋の紐を解くと足の裏は白くふやけて、指で押すと皮が寄った。預かった書状は五日のうちに江戸の問屋へ届ける約束で、すでに丸一日を雨に食われている。二階の座敷は同じように足を止められた客で埋まっていて、碁石を打つ音といびきと、誰かの愚痴がひとつに混ざって天井を揺らしていた。
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甚吉は帳場の脇で番頭の袖を引いた。人に聞かれたくないので、顔を寄せて銭差しを相手の手に落とした。五十文である。
「番頭さん、ちょいと頼みがある」
「へい、何でございましょう」
「明日の朝、水が引いたら川会所へ一番に走ってくれ。渡しの順は、あんたの口利きでどうにでもなると聞いた」
「手前の口利きで」
「そうだ。他の客より先に、わしを渡してくれりゃいい。書状が遅れると問屋に顔向けができねえ」
番頭は銭を袂へ収め、目をふっと細めた。
「承知いたしました。このことは、手前にお任せくださいまし」
甚吉は胸のつかえが下りた心地で、二階の隅の薄い布団へ潜り込んだ。
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夜になっても雨音は弱まらず、甚吉は何度も寝返りを打った。階段が軋んで、番頭が二階へ上がってくる気配がする。襖の向こうで、へい、お任せくださいまし、と聞き覚えのある声がした。しばらくして別の部屋の前でも同じ声がして、さらに奥の座敷でも、へい、手前にお任せを、と続いた。忙しい男だ、客の世話も大変だと甚吉は思い、安心したまま眠りに落ちた。
明け方に雨が上がった。階下から番頭の声が飛んできて、川が渡れますよ、と宿じゅうを起こして回る。甚吉は状箱を引っつかみ、草鞋の紐を締めるのももどかしく階段を駆け降りた。一番乗りのつもりで土間へ飛び出し、そこで足が止まった。
土間には十人以上の客が、笠をかぶり、荷を担ぎ、すでに草鞋を履いて並んでいた。誰もが番頭のほうを向き、頼みますよ、とか、お願いしますよ、とか口々に言っている。先頭にいた小間物屋などは、番頭の肩に手まで置いていた。
「番頭さん、これは」
甚吉が呼ぶと、番頭は揉み手をしながら振り向いて、にこにこと答えた。
「ご安心ください。皆さまから承っておりますので、皆さまが一番でございます」
