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1日8時間・週48時間で始まった労働基準法に、週40時間という数字が入ったのは1987年(昭和62年)の改正だ。厚生労働省の資料によると、この改正は週40時間労働制を本則に定めた。ただし同じ改正は、当分の間の週の法定労働時間を政令で決めることにしていた。週40時間へできるだけ速やかに移るため、段階的に短くしていく、という書き方だ。一定の規模以下や一定の業種の事業には、政令で猶予期間を設けられるようにもした。条文には40と書いてあるのに、実際に効いている数字は別にある。そういう時期が、ここから始まる。改正の背景として資料が挙げるのは、働く人の生活の質の向上や内需の拡大、それに国際社会での日本の地位にふさわしい労働時間の水準だった。1988年に閣議決定された経済運営の5か年計画には、年間の総実労働時間を1800時間程度に向けて減らす目標も書き込まれた。
改正法が施行された1988年(昭和63年)4月1日、週の法定労働時間は46時間になった。猶予の対象になった事業は48時間のままで、すべての職場で一斉に短くなったわけではない。本則の40はそのままに、政令の数字を書き換えて上限を下ろしていく仕組みだった。3年後の1991年(平成3年)4月には44時間に下がり、猶予の対象は46時間に移った。その年の7月からは、週40時間へどう進めるかを法制面で詰める検討が始まった。1992年には、国が労働時間短縮の推進計画をつくることなどを定めた時短促進法もでき、検討は1993年(平成5年)の改正につながる。この改正で、週40時間制は1994年(平成6年)4月1日から実施されることになった。一方で、政令で定める規模・業種には1997年(平成9年)3月31日までの猶予が残り、その間の上限は44時間とされた。猶予が切れて40時間制が全面実施になったのは、1997年4月だ。1987年の改正から数えて、ちょうど十年になる。1994年1月の施行通達は、猶予を受けていた事業の週40時間について、1997年3月31日を含む1週間が過ぎた時点から適用されると、切り替わりの境目まで決めている。それでも、10人未満の商店などに認められた特例措置という別枠は、その後も残った。
十年のあいだに、条文の40という数字が、少しずつ現実の数字に追いついていった。1日8時間の日を5つ並べたとすると、週46時間なら6日目に残るのは6時間、44時間なら4時間になる。1日8時間という上限のほうは、1947年から動いていない。動いたのは週の数字だけで、それが削られるたびに減っていくのは、週の最後の1日に回せる時間だった。ただ、ここで縮んだのは、会社が人を働かせてよい時間の上限だけだ。店や窓口を何曜日に開けるかは、それとは別の決まりに縛られていることがある。銀行のように、休む日そのものを法律で決められていた場所では、土曜を閉めるのに、労働時間とは別の決まりを変える必要があった。
参考:厚生労働省「労働時間制度見直しの経緯」/厚生労働省「労働時間法制の主な改正経緯について」/厚生労働省「今後の労働時間制度に関する研究会第1回資料(労働時間制度の変遷)」/労働省「労働基準法の一部改正の施行について」(平成6年1月4日基発第1号)/e-Gov法令検索「労働基準法」