第3章では、予算の帳尻を合わせるために会計年度が明治19年度から4月始まりになったいきさつを見ました。この章では、学校の一年がいつから4月に始まるようになったのかをたどります。
国立公文書館ニュースVol.17によると、学校などの新年度も、会計年度に合わせるようにして4月に始まるようになりました。ただ、学校の4月は一度にそろったわけではなく、年表や条文を追うと何段階かに分かれています。
まず明治19年4月に、師範学校令が小学校令や中学校令とともに公布されました。国立公文書館の展示「明治の学び」の年表にも、この公布が載っています。
アジア歴史資料センターで読める公文類聚の記録によると、師範学校は教員になる人を育てる学校とされました。高等と尋常の二つに分けられ、高等師範学校は東京に一か所、尋常師範学校は府県に一か所ずつ置くと定められています。
同じ年表の明治25年7月の欄には、尋常師範学校の学年を4月始まりと定めたことが記されています。会計年度が4月始まりになった明治19年度から、6年ほどのちのことです。
文部科学省の学制百二十年史も、明治33年の小学校令の全面改正を説明するくだりで「四月学年制の採用(二十五年)」にふれています。明治25年は、学校の年度にとって一つの区切りの年だったことがうかがえます。
小学校の4月学年が条文になったのは、さらに後のことです。学制百二十年史によると、明治33年に小学校令が全面的に改められ、義務教育の完全な実施が決まりました。尋常小学校は四年制にそろえられ、就学の始めと終わりは明治25年の四月学年制に合わせてはっきり定められました。
このとき、施行のための細かな決まりは小学校令施行規則にまとめられました。文部科学省の学制百年史に収められたこの規則は、明治33年8月21日の文部省令第14号です。
その第25条は、小学校の学年を4月1日から翌年3月31日までと定めています。学期の分け方は府県知事が決めるとされ、条文が全国一律にしたのは学年の始まりと終わりの日付でした。
規則の第212条によると、第25条を含む第一章の第一節から第四節は明治34年4月1日から施行されました。明治33年に定められ、明治34年度から実際に動き出したことになります。
並べてみると、会計年度の4月が明治19年度、尋常師範学校の4月学年が明治25年、小学校の第25条が明治33年という順です。役所の帳簿の区切りが先に4月へ移り、学校の一年があとから4月にそろっていきました。
なぜ学校が4月に合わせたのかについて、国立公文書館ニュースが書いているのは「会計年度にあわせる形で」という一言です。それ以上の事情は、今回見た公的な資料には書かれていません。役所の都合が学校の暦を決めたと言えるのは、この順番と記事の一言が示す範囲までです。
次の章では、国や学校から離れて、会社の帳簿の区切りがどう決められているのかを見ていきます。
参考:国立公文書館「あの日の公文書」『国立公文書館ニュース』Vol.17/国立公文書館「明治の学び」明治時代教育関係年表/アジア歴史資料センター「師範学校令ヲ定ム」/文部科学省 学制百年史 資料編「小学校令施行規則(抄)」/文部科学省 学制百二十年史「第一節 初等教育」
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