毎朝七時四十二分のバスは、かならず三分遅れて来る。時刻表と現実が噛み合わないまま、もう二年が過ぎた。運転手の吉野さんは、乗るたびに帽子のつばを少し持ち上げて言う。
「おはようございます。今日も遅れました」
謝っているのか、報告しているのか、よく分からない。ただ、その声を聞くと、わたしの朝は不思議と落ち着いた。
*
その日は前の晩から雪が降っていて、バスは二十分たっても来なかった。停留所にいるのはわたしと、小学三年生くらいの男の子だけで、男の子はランドセルの肩ひもを握りしめたまま、道の向こうばかり見ている。手袋が片方なかった。
「寒くない?」
声をかけると、男の子は首を横に振って、それから声をひそめて言った。
「お母さんが入院してるんだ。毎朝このバスで病院に寄ってから、学校に行く」
遅れれば、面会の時間が減ってしまう。わたしは自分の手袋を片方はずして差し出し、男の子はためらってから、それを受け取った。
やがて雪をかき分けるように見慣れた車体が現れて、ドアが開き、吉野さんが帽子を持ち上げた。
「おはようございます。今日は、だいぶ遅れました」
男の子は何も言わずにいちばん前の席に座った。吉野さんはミラーでちらりと様子を見て、暖房の風量をひとつ上げた。
*
しばらく走るうちに、ほかの乗客は降りて、車内にはわたしと男の子だけになった。わたしは思い切って、運転席に声をかけた。
「どうして毎朝、三分遅れるんですか」
吉野さんは前を向いたまま、ふっと笑った。
「三つ手前の停留所で、杖をついたおばあさんが乗るんです。席に座るまで待つと、ちょうど三分かかる」
時刻表には載らない三分だった。
「だから挨拶に『遅れました』と入れているんです。そうでもしないと、誰にも言わずに終わってしまうので」
降りるとき、男の子が片方の手袋を返しかけて、やめた。
「帰りも借りていい?」
「いいよ。またバスで会えるでしょう」
その日から、わたしは遅れを数えるのをやめた。三分の遅れは、誰かが座るのを待つ、やさしい時間だと知ったからだ。
