掲示板の三枚の貼り紙

古いアパートの入口の掲示板。三枚の貼り紙、水色の便せん、赤い手袋。

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築四十年の古いアパートの入口には、小さな掲示板がある。管理人が貼るゴミ出しの案内や、住人同士の簡単な連絡が貼られているだけの、ふだんは誰も立ち止まらない掲示板だ。十一月のある朝、わたしはそこに、見慣れない三枚の貼り紙が並んでいるのを見つけた。

一枚目はゴミ出しの注意書きで、「燃えないごみは水曜日の朝に」とある。二枚目は落とし物の案内で、「赤い手袋を拾いました。心当たりのある方は管理人室まで」と書かれていた。三枚目だけは様子が違って、薄い水色の便せんに、丁寧な字でひとことだけ書かれている。

きのうの夜、二〇三号室からピアノの音が聞こえました。とてもきれいでした。もしよければ、また聞かせてください。

*

わたしは二〇三号室の住人を知っていた。同じ階に住む八十代の三枝さんで、若いころ音楽教室の先生をしていたと聞いたことがある。ただ最近は体調を崩して、ほとんど外に出ていなかった。ピアノの音は、わたしの部屋までは聞こえない。聞こえていたのは、隣の二〇四号室の人だろう。そこには最近引っ越してきた若い男性が住んでいる。

誰がこの貼り紙を書いたのか。わたしは仕事に出かける前に、貼り紙の筆跡を目に焼きつけた。夕方に帰宅すると、掲示板の貼り紙が一枚増えていて、同じ水色の便せんに、丁寧な字で返事が書かれている。

聞こえましたか。もしうるさかったら、ごめんなさい。久しぶりに弾いてみたのです。 二〇三 三枝

わたしは立ち止まって、しばらく掲示板を見つめた。そして、この返事の字が、最初の貼り紙の字とは違うことに気がついた。

*

最初の貼り紙の字は、やや角ばったまっすぐな男の人の字だった。返事のほうはゆるやかで線が細く、同じ人が書いたとは思えない。つまり、最初の貼り紙は三枝さんではなく、別の誰かが書いたことになる。

二〇四号室の前を通りかかると、ドアの前に紙袋が置かれていて、袋の口から、赤い手袋と水色の便せんの残りがのぞいていた。ドアが開いて、若い男性が顔を出した。

「あ、すみません。ご迷惑でしたか」

「いいえ。あの貼り紙、あなたが」

男性は照れくさそうに頭をかいた。

「実は、引っ越してきてからずっと、ひとりで夜を過ごしていて。そんなとき、隣からピアノの音が聞こえてきたんです。直接お礼を言う勇気がなくて、掲示板に書きました」

赤い手袋は三枝さんのものだった。拾ってドアノブにかけようとして、ためらって、掲示板に回した。それが「落とし物の案内」だった。わたしは笑った。ささやかな謎の答えは、ひとりぼっちの、やさしい勇気だった。

その週の土曜日、三枝さんの部屋からまたピアノの音が聞こえた。隣の部屋のドアが開いて、廊下に、赤い手袋を持った青年が立っていた。

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