金曜の夜は一人でフロアに残っていた。十時を過ぎて給湯室へ麦茶を取りに行き冷蔵庫を開けると、二段目の奥に「矢作」と太いペンで書かれたプリンがあった。総務の矢作さんは来月で定年を迎える人で、背筋がいつも伸びていて、私は挨拶以外の言葉を交わしたことがない。それでも空腹で疲れた頭は、賞味期限が明日なのだから誰かが食べたほうがいいという理屈をすぐに用意してくれた。食べ終えた容器は洗って燃えるごみの袋の底へ押し込み、使ったスプーンも洗って引き出しに戻した。月曜になれば誰も気づかないだろうと思って、非常口の緑の灯りだけが残るフロアを一人で歩いて帰った。
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月曜の朝礼で、矢作さんは手帳を開いたまま全員を見回した。冷蔵庫の中身が一つ減っていたことを淡々と述べ、責めるつもりはないと付け足したが、声の調子は人事面談に近かった。私は定時に帰った側に入れてもらうことにして、金曜は六時に出ましたと自分から言った。
「そうですか。冷蔵庫に私の私物があったのですが、ご覧になりましたか」
「見ました。二段目の奥にありましたよね」
矢作さんは手帳に何も書かず、二段目の奥でしたか、とだけ言った。
矢作さんはほかの席も一つずつ回っていて、遠くから聞こえる声は私に向けたものと同じ丁寧さだった。席へ戻っても画面の文字が頭に入らず、午前中は同じメールを四回読んだ。隣の席の人は、犯人は清掃の人じゃないですかと小声で言っていて、私は深くうなずいておいた。
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昼休みに給湯室へ呼ばれると、矢作さんは引き出しを開けて待っていた。スプーンやフォークが同じ向きに揃っていて、一本だけ持ち手が左を向いている。
「ここは毎週金曜の帰りに向きを揃えています。持ち手は右です。この細いのはコーヒー用ですが、プリンにはちょうどいい」
矢作さんの指はその一本を、犯人の落とし物でも示すように軽く押さえていた。私は洗うときに向きまで気にしなかった。六時に帰った人間が二段目の奥を知っていて、金曜の夜に引き出しを触ったことになる。頭の中で何度並べ直しても、そこに言い訳の入る隙間はなかった。
「あの」と私は言った。「それは、私です」
矢作さんは片手を上げて私を止めた。
「犯人を探していたわけではないのです。家内がふるさと納税でプリンを六十個頼んでしまいましてね」
「六十」
私が聞き返すと、矢作さんは冷凍もできないそうで、と重ねた。
「会社の冷蔵庫にも少しずつ置いていたのですが、誰も手をつけない。名前を書けば食べやすいかと思ったのです」
矢作さんは手帳を閉じ、ようやく私の顔を見た。
「まだ家に四十八個あります。持ち帰り用の袋は、ここに」
足元の紙袋が、ずしりと重そうに口を開けていた。
