その前に、湯島の書籍館があった

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帝国図書館は、計画の四分の一で開館した 第2章

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1906年に上野で開館した帝国図書館は、いきなり生まれたわけではない。国際子ども図書館のページは、その前身を1872年(明治5年)の書籍館としている。文部省が日本初の近代的図書館として、湯島聖堂の中に開設した施設だ。国立国会図書館の展示資料は、書籍館に「しょじゃくかん」とふりがなを振っている。

国立国会図書館の小史では、書籍館の設立は明治5年6月3日(旧暦4月28日)、開館は9月3日(旧暦8月1日)。昌平坂学問所、蕃書調所、和学講談所などの蔵書を受け継いでいる。

そこから、名前と所属がよく変わった。小史の年表から要所だけ拾う。

  1. 明治6年3月、博覧会事務局と合併
  2. 明治7年8月、浅草文庫設立(開設場所が浅草に移る)
  3. 明治8年2月、博覧会事務局と分離。4月に東京書籍館と改称
  4. 明治10年2月、東京書籍館廃止。5月に東京府書籍館と改称(東京府へ移管)
  5. 明治13年7月、東京図書館と改称(文部省の所轄に戻る)

場所が動いたのは1885年(明治18年)だ。6月に東京教育博物館と合併し、湯島から上野に移った。小史には「以後、上野図書館の愛称」と添えてある。帝国図書館が上野にあるのは、この移転からつながっている。1889年(明治22年)3月には東京図書館官制が公布され、再び単独の機関になった。

ただ、規模は小さいままだった。国際子ども図書館のページによると、書籍館から東京図書館までの施設は市民の図書館として機能するにとどまり、国立図書館といえる規模には至らなかった。東京図書館の書庫に使われていたレンガ造りの建物は、いまも東京藝術大学の構内に残っているという。

動きが出たのは1896年(明治29年)だ。2月10日、第9回帝国議会の貴族院本会議に「帝國図書館ヲ設立スルノ建議案」が出された。帝国図書館がないことを「国家ノ一大闕点ト謂フヘシ」と嘆く内容で、2月14日に可決された。3月25日には衆議院でも同じ趣旨の建議案が可決されている。

国立国会図書館の展示資料「帝国図書館の誕生」は、建議のもとになった設立案についてこう説明する。東京図書館の閲覧室と書庫の狭さを訴え、防災上の点からも大規模な拡張をうたっていた。

翌1897年(明治30年)4月、帝国図書館官制が公布され、東京図書館官制は廃止された。新しい建物ができるまでは、旧東京図書館の建物を帝国図書館として使っていた。建設の決裁は1899年(明治32年)7月で、敷地は上野公園内の音楽学校の敷地にあった空地に決まった。

湯島で書籍館が開いてから、34年。1906年3月にようやく開館した新館は、第1章で書いたとおり、全体計画の4分の1の大きさだった。狭さを訴えて建てた図書館も、最初から計画の一部しか建たなかった。

参考:国立国会図書館「国立国会図書館小史」/国際子ども図書館「帝国図書館の歴史」/国立国会図書館 第125回常設展示「帝国図書館の誕生」

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