帝国図書館は、計画の四分の一で開館した

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帝国図書館は、計画の四分の一で開館した 第1章

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1906年(明治39年)3月、上野公園に帝国図書館が開館した。国立国会図書館の小史によると、開館式は3月20日、開館は3月23日だ。国際子ども図書館のページは、この建物が「東洋一の図書館建築」と謳われていたと書いている。

同じページには、もう一つの事実が並んでいる。帝国図書館は、全体計画の4分の1の大きさで開館した。小史の年表にも、開館式の行の後ろに短い注記がある。

「日露戦争への戦費投入等のため設計の4分の1ができたにすぎず」

東洋一と呼ばれた建物は、計画の一部だった。

計画そのものは大きかった。文部省は建築を3期に分けて行う予定で、1906年に竣工したときにまとめられた『帝国図書館概覧』に、全体の実施計画案が載っている。国際子ども図書館の説明では、その姿はこうだ。

  1. 中庭を囲む「ロの字型」
  2. 地上3階、地下1階
  3. 正面の長さは約87.5メートル
  4. 背面の全面に9層の書庫、正面の3階に長大な大閲覧室

南側の正面には、2階へ上がる大階段のついたエントランスホールも描かれていた。

建てられたのは、そのうちの第1期工事の分だけだった。1900年(明治33年)3月に着工し、6年後の1906年3月に竣工している。

お金の面でも、計画は最初から削られていた。国立国会図書館が2003年に開いた展示「帝国図書館の誕生」の解説によると、建築計画は三期で、予算は各期50万円だった。第一期工事は32万円に抑えられた。同じ解説は『帝国図書館概覧』の図面にもふれ、図面にみえる3階の閲覧室は全体の四分の一である黒色部分が完成しただけだったと書いている。

建設地が決まるまでにも時間がかかった。帝国図書館官制の公布は1897年(明治30年)4月で、小史に「帝国図書館建設決裁」が載るのは1899年(明治32年)7月だ。展示の解説によると、建物の場所は最終的に、上野公園内の音楽学校の敷地にあった空地に決まった。

それでも開館すると、利用者は集まった。国際子ども図書館のページは、早朝から人が押し寄せ、閲覧室はたちまち満員になったと書く。閲覧室は定員制で、入りきれない人が外に行列を作って待っていたという。上野公園にあることから、帝国図書館は「上野図書館」の名で親しまれた。

展示の解説は、この図書館をひと言でこう呼んでいる。予定の四分の一しか建築されないままに開館を迎えた「未完の図書館」。

計画の全体を描いた図面は、いまも見ることができる。国際子ども図書館のページは、1896年(明治29年)の『帝国図書館設立案』を、建物の設計について最初に発表された設計図と推定し、「ロの字型」の中央に建物があって中庭がふたつに分けられたこの形式が、その後の設計図にも原則的に生かされていると説明している。これと『帝国図書館概覧』の図は、国立国会図書館デジタルコレクションの資料として紹介されている。

東洋一と謳われ、未完のまま開いた図書館。その建物は、いまも上野に建っている。

参考:国際子ども図書館「帝国図書館の歴史」/国立国会図書館「国立国会図書館小史」/国立国会図書館 第125回常設展示「帝国図書館の誕生」

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