古書店「ことのは堂」の店主、沙耶のもとに、ある日、一冊の詩集が持ち込まれた。持ち主は六十代の上品な女性だった。
「亡くなった母の本です。引き取っていただけますか」
詩集は薄くて手に馴染む、古い装丁で、表紙には小さな染みがある。沙耶はページをぱらぱらとめくり、真ん中あたりで手を止めた。ページが一枚、きれいに切り取られていた。
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カッターかはさみで丁寧に切り取られていて、破れではなく、意図的な仕事だった。切り取られたのは、六十四ページから六十五ページにかけての一枚。
「どうして、このページだけ」
沙耶がつぶやくと、持ち込んだ女性は首をかしげた。
「さあ。わたしにも分かりません。母はこの本を大事にしていたはずなのに」
沙耶は詩集を買い取ることにした。値段は安いけれど、切り取られたページの行方が気になって仕方がなかった。同じ詩集を別の古書で探してみると、ネットの古書サイトで同じ版が見つかったので、取り寄せて六十四ページを開く。そこに載っていたのは、「小さな窓」という題の短い詩だった。
窓をあければ、そこに、わたしのいない朝がある。それでも、窓はあけておこう。誰かが帰ってくるかもしれないから。
沙耶は詩を読んで、心のどこかがひりっと痛んだ。
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数日後、ひとりの青年が店を訪ねてきた。三十歳くらいの真面目そうな男性だった。
「あの、詩集を探しているんです。『小さな窓』という詩が載っている」
沙耶は驚いて顔を上げた。
「その詩集なら、先日買い取ったばかりですが」
青年はほっとした顔で続けた。
「実は、その詩集の六十四ページが必要なんです。母が最期に聞きたがった詩だったので」
沙耶は青年を奥の席に案内した。事情を聞くと、こういうことだった。青年の母は昨年亡くなった。入院中、「小さな窓」の詩を何度も朗読してほしいと頼んでいたのに、青年は詩集を持っていなかった。慌てて古い詩集を探して持ってきたときには、母はもう意識がなかった。
「最期に聞かせてあげられなかった。それがずっと心残りで」
沙耶は立ち上がって、あの詩集を棚から取り出した。
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「実は、このページは切り取られているんです。でも、ほかの版で、詩の中身はお見せできます」
沙耶は取り寄せた別の詩集の六十四ページを、青年の前に広げた。青年は息をのんで、それから詩を声に出して読んだ。
窓をあければ、そこに、わたしのいない朝がある。
声は少し震えていた。読み終えると、青年は深く頭を下げた。
「ありがとうございます。やっと母に聞かせることができました」
沙耶はうなずいた。切り取られたページの謎は、まだ完全には解けていない。けれど、ひとつだけ確かなことがあった。この詩は、確かに誰かのために読まれるべき詩だったのだ。
