三番目の窓口

夕方の市役所の古い窓口と、誰も座っていない椅子、窓口の上の小さな札。

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市役所の一階の奥に、三番目の窓口がある。一番目は住民票、二番目は戸籍、三番目は「その他」で、何の窓口なのかははっきりしない。ふだんは誰も座っておらず、今日は新人職員の大原が研修のために、初めてそこに座っていた。午後二時を過ぎたころ、一人の老人が窓口の前に立った。

*

八十歳くらいだろうか。薄いグレーの背広を着て、古い革の鞄を提げている。老人は少しためらってから言った。

「証明書をいただきたいのですが」

大原は背筋を伸ばした。

「はい。どのような証明書でしょうか。住民票の写しでしたら一番窓口に」

「いえ。そういう類のものではないのです」老人は鞄から封筒を取り出した。「わたしが、この町に確かにいたことの証明書をください」

大原は固まった。そんな証明書は聞いたことがない。

「あの、失礼ですが、どのようなご用途で」

「五十年、この町で暮らしました。けれど来月、遠くの息子のもとへ引っ越すことになりました。……わたしがここにいたことが、何も残らない気がして」

老人は窓口の天板に手を置いた。皺だらけの大きな手だった。

*

大原は困って、マニュアルをめくった。「その他」の項目には「前例のないご相談は上長に確認」とある。奥の席のベテラン職員、田島さんに声をかけると、田島さんは窓口まで来て、老人の顔をじっと見て、表情をゆるめた。

「ああ、増田さんじゃないですか。ずいぶんお久しぶりです」

老人は目を丸くした。

「覚えていてくださったんですか」

「二十年前、町内会の夏祭りの役員をなさっていたでしょう。わたしはその担当でした。あのやぐらの組み方、今でも覚えてますよ」

老人の目に涙が浮かんだ。

「そうですか。覚えておられますか」

田島さんは窓口の内側から紙を一枚取り出して、ペンでさらさらと何かを書き、判子をぽんと押した。

「どうぞ。当市からの証明書です」

大原が横からのぞきこむと、そこにはこう書いてあった。

証明書。増田武雄殿。あなたはこの町に、五十年、確かに暮らしておられました。夏祭りのやぐらを組んでくださいました。この町は、あなたのことを忘れません。 〇〇市役所 三番窓口 田島

判子は正式な公印ではなく、窓口にあったただの認印だった。それでも老人はその紙を両手で受け取って、深く頭を下げた。

*

老人が帰ったあと、大原は田島さんに聞いた。

「あれ、規則的には大丈夫なんでしょうか」

田島さんは笑って肩をすくめた。

「公的な効力はないよ。でもね、この窓口は、公的には扱えないものを受けとめるためにあるんだ」

「受けとめる、ですか」

「そう。三番目の窓口は、いつか誰かが必要としたときのために空けておくんだ。ふだんは座る人がいなくても」

大原は窓口の椅子に座りなおした。ほこりっぽい古い椅子だったけれど、その日から、この席がほかのどの窓口より大切に思えた。その日の夕方、大原は窓口の上に札を立てた。「その他、なんでもご相談ください」

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