雨の夜の貸し提灯

江戸の雨の夜の路地。提灯屋の軒先に吊るされた、ともる一つの提灯と濡れた石畳。

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江戸の下町、神田川にほど近い路地に、小さな提灯屋があった。主の与兵衛は五十を過ぎた無口な男で、竹ひごを曲げ、紙を貼って、一日じゅう提灯をこしらえている。この店には変わった決まりがあった。雨の夜に道に迷った者があれば提灯をひとつ貸し、代金は取らず、返しに来なくてもいい。ただ「濡らさぬように」とだけ言う。商売の足しになるとも思えなかったが、与兵衛は二十年、その決まりを続けてきた。

*

ある秋の晩、強い雨が降っていた。戸を叩く音がして開けてみると、旅姿の若い男がずぶ濡れで立っている。

「この先の宿を探しているのですが、道が分からなくなりまして。提灯をお貸し願えませんか」

与兵衛は黙って棚から提灯を一つ取り、灯をともして男に手渡した。

「濡らさぬように」

男は深く頭を下げて、闇の中へ消えていった。与兵衛は戸を閉めて、また竹ひごの束に向かった。

翌朝、店の戸の前に風呂敷包みが置かれていた。そばに、昨夜の提灯がきちんと畳んで立てかけてあって、包みを開くと、中には桐の箱と一通の手紙が入っていた。

*

昨夜はありがとうございました。わたしは遠い国の、提灯屋の倅でございます。父は二十年前に江戸へ出たまま、行方が知れなくなりました。父は、雨の夜の貸し提灯の決まりをわたしに教えて、旅立ったのです。

与兵衛は、手紙を持つ手がかすかに震えるのを感じた。

江戸で提灯屋の看板を見るたび、父ではないかと訪ねて歩いてきました。昨夜お借りした提灯の竹ひごの曲げ方を見て、確信いたしました。これは父の手の癖です。

桐の箱を開けると、古い竹ひごの道具が入っていた。かつて故郷の弟子に、別れ際に与兵衛が渡した品だった。二十年前、与兵衛は故郷の店を弟に譲って江戸へ出た。独り身の気楽さと、腕を試したい気持ち、それに少しばかりの意地があって、それきり便りも出さずにいたのだった。手紙は、こう結ばれていた。

もしお心当たりがあれば、今度はわたしのほうから、提灯をお貸しします。 倅より

*

与兵衛は立ち上がって戸の外を見た。雨は夜明けとともに上がっていて、路地の濡れた石畳に朝の光が差している。作りかけの提灯に新しい紙を貼り始め、紙の真ん中に、筆で故郷の屋号を一文字ずつ書き入れた。

その夜、雨は降らなかった。それでも与兵衛は店の軒先に、灯をともした提灯をひとつ吊るした。道に迷った者のためだけでなく、いつか戻ってくる者のために。

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