かつて西部標準時もあった

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日本標準時は東経百三十五度 第5章

いま日本の時計は、どこでも同じ数字に揃いやすい。その感覚の前に、法令上ふたつの標準時があった時期がある。一本が当たり前に見えるのは、削除のあとの景色だ。明治二十八年勅令第百六十七号は、第一条で従来の標準時を中央標準時と称すと定めた。第二条は、東経百二十度の子午線の時を、台湾及澎湖列島並びに八重山及宮古列島の標準時とし、これを西部標準時と称す、とした。東経百二十度は、十五度で一時間の割り算では八時間側だ。中央の東経百三十五度とは、一時間の差になる。百三十五と百二十の差は十五度。十五度はおよそ一時間だ。対象地域の列挙は、勅令の文言どおりだ。観光の地図や旅行案内の章には広げない。施行は明治二十九年一月一日。中央と西部が、同じ法令の中で第一条と第二条として並んだ。感覚の一本線は、あとから来た整理だ。並んでいたあいだは、針の差が一時間あった。

国立公文書館の整理も、同じ骨格を置く。二つの日本時間は四十余年続き、昭和十二年の改正で第二条が削られ、再び標準時は一つになった、と書く。年数を独自に数え直して断定しすぎない。公文書館の「四十余年」という要約に合わせる。明治二十九年から昭和十二年までの幅だ。現行のe-Govでも、第二条は「削除」とだけ残る。条文の箱はある。中身は空だ。空のまま残すことが、廃止の痕跡になる。過去の枠は、現在形では読めない。西部標準時は、あった、という過去形だ。いま八重山や宮古の時計が中央と同じ数字を指すことは、第二条削除のあとの地図だ。生活ガイドにはしない。訪問ルートや名所案内にもしない。是非の物語にもしない。善悪の審判台にも乗せない。核は、かつて二つあった、という事実だけだ。削除の一行が、二つから一つへの境目だ。境目のあとは、中央標準時の側に揃う。

感覚は、日本に時差はない、と先に立ちやすい。制度の履歴は、中央と西部が並んだ時代を記録している。差は一時間。住所は東経百二十度。名前は西部標準時。三点がセットで過去形になる。現在形には戻さない。いまは第二条が削除され、標準時は一つに戻っている。並んでいた時代を忘れると、いまの一本が最初から一本だったように見える。帳尻は合わない。履歴はそう言わない。e-Govの「削除」の二文字が、境目をいまもなお示している。かつて西部標準時もあった。いまの一本は、あとから揃った一本だ。二つあった記憶が、一本の前提を揺らす。時差がなかった、はいまの話だ。かつては違った。西部標準時という名前が、法令に載っていた。

参考:e-Gov法令検索「明治二十八年勅令第百六十七号(標準時ニ関スル件)」/国立公文書館「あの日の公文書」/アジア歴史資料センター(御署名原本・標準時ニ関スル件)

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