回覧板の最後の一文

住宅街の玄関先。ドア横の郵便受けの上に、古い緑色のバインダー型の回覧板が一冊置かれている。夕方の斜めの光と、隣家の生け垣。

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私は十二軒の町内会で班長を三年続けていて、毎月の回覧板には「来月の班長交代について」という議題を載せている。載せるたびに誰かが手を挙げてくれると思っていたのに、三年のあいだ一度も電話は鳴らず、議題だけが毎月きれいに同じ文面で戻ってくる。

最初に気づいたのは、印の押され方だった。井上さんの印は必ず右に傾いていて、その次の家は井上さんの印のすぐ下に、影のように同じ向きで押してあり、そのまた次の家もそうだった。前の家の印を見て、中身は開かずに自分の分だけ押して次へ回しているのだと分かった。読んでいるのは、書いた私だけである。

もうひとつ、気づいていながら放っておいたことがあった。印鑑欄は十二軒分しか作っていないのに、戻ってきた回覧板には、いつも十三個の印が並んでいる。末尾の見慣れない「坂本」の印を、私は先月まで、どこかの家の奥さんが旧姓で押したのだろうと思っていた。

*

その晩、私は回覧板の最後の行に、ボールペンで一文を足した。「この一文を読んだ方は、班長までお電話ください」。番号は、表紙に書いてある私の家のものである。これで誰も読んでいないことが確かめられるし、確かめられたところで何も変わらないと思いながら、表紙を閉じて井上さんの家へ持っていった。

回覧板が回っているあいだ、私は電話の前に座るようなことはしなかった。どうせ鳴らないと思っていたので、夕飯の支度をして、テレビを見て、洗濯物を畳んで、三日が過ぎた。

三日目の夕方、電話が鳴った。

私は台所で包丁を持ったまま、しばらく鳴らしておいた。出ると、受話器の向こうは聞き覚えのない男の声で、少し息を切らしていた。

「回覧板の、いちばん最後の一文を読みました」

「ありがとうございます。どちらの方でしょうか」

「第四班の坂本です。あの、お宅の回覧板、半年前から、うちの郵便受けの横に挟まって回ってくるんですよ。いつのまにか順番に組み込まれていまして」

私は包丁を置いて、受話器を持ち替えた。十三個目の印のことが、頭の中で音を立てて合った。

「それで、毎月うちの印を押して、お宅へ戻しています。読んだのは今月が初めてです」

「それは、失礼しました。すぐ元の順路に」

「いえ、そうではなくて」と坂本さんは言った。「うちの班、班長が三年前から空いているんです。お宅の班長さん、うちもやっていただけませんか」

私が返事を探していると、坂本さんは続けた。

「お返事は、回覧板に書いてください。今度はちゃんと読みますから」

私は返事をして受話器を置き、ボールペンを取りに行った。印鑑欄は、十三軒分に増やさなければならない。

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