引っ越した部屋には、固定電話が残っていた。壁のジャックに差さったままの白い留守番電話機で、前の住人が置いていったのか、管理会社が外し忘れたのか、どちらにしても私は携帯しか使わないから触らずにいた。四月の最初の木曜、夜に帰ると赤いランプが点滅していて、何の気なしに再生ボタンを押した。
機械の女の声が日時を読み上げ、「午後三時四十分」と告げた。そのあとに、本物の女の声が続いた。
宮本さん、こんにちは。木曜日です。お変わりありませんか。また来週、お電話しますね。
宮本という名前に覚えはない。表札の差し込み口には、前の住人の名を剥がした跡の四角い白い痕が残っていたから、たぶんその人だろうと思い、消去ボタンを押した。読み上げられた日付が二日ほどずれていたので、ネットで説明書を探して時計だけは合わせておいた。
次の木曜にも、その次の木曜にも、メッセージは入っていた。「今日は風が強いですね。お布団は飛ばされていませんか」。「梅雨に入りましたね。足元に気をつけて」。声はいつも同じ調子で、急かさず、責めもせず、返事を求めてもいない。ただ、宮本さんがここにいる前提で話しかけてくるのが、聞くたびに少しずつ重かった。私は毎回、聞いてから消した。
七月に入って、ふと手が止まった。「今日は暑いですね。冷房はつけていますか。つけていなくても、お電話は待っていますよ」。待っている、という言い方が引っかかった。八月の終わりには、消すより先に、ポストに溜まっていた前の住人宛のチラシを引っ張り出して机に広げていた。ピザ、水道工事、墓石の案内。その底から、薄い水色の封筒が一通出てきた。
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封筒には区の社会福祉協議会の名前があり、中の紙には「見守り電話のご案内 毎週木曜日にボランティアがお電話します。お出になれない場合は、留守電にお声がけだけ残します」と印刷されていた。あて名は、宮本トシ様。
管理会社に電話して聞くと、宮本さんは八十を超えた一人暮らしの方で、三月の末に娘さんのところへ引き取られて出ていったという。翌日、廊下で会った隣の奥さんも、同じことを言った。「トシさんね、旦那さんが亡くなってからずっと一人で。電話の留守電も、旦那さんの声のまま替えなかったのよ」
その夜、携帯からこの部屋の番号にかけてみた。三回鳴って、機械が出た。「はい、宮本です。ただいま留守にしております」。低い、年配の男の声だった。四月から五か月、私は一度も録音し直さず、ずっとこの声を、電話の向こうの誰かに流し続けていたことになる。
見守りの人は、毎週かけて、毎週この声を聞いていたのだ。お出にならなくても、旦那さんの声のまま留守電が応答するから、宮本さんは変わりなく暮らしていると思っていた。そう考えれば、ぜんぶ納得がいく。
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次の月曜、封筒に書かれた番号へ電話した。出たのは、のんびりした声の女性で、野村と名乗った。事情を話すと、受話器の向こうで紙をめくる音がして、しばらくして、「あらあら」と声が落ちた。
「宮本さん、三月で転居なさってたんですね。登録の変更がうちに上がっていなくて、ごめんなさい。すぐ止めます。ずっと、お留守ばかりだとは思っていたんですけど」
「いえ、こちらも録音し直さなかったので。ご迷惑をおかけしました」と私は言った。肩の力が抜けて、そのまま電話を切ろうとしたとき、疑問がひとつ、遅れて浮かんだ。
「あの、一点だけ。メッセージが入るのは、いつも午後の三時四十分なんです。機械の読み上げで、毎回」
野村さんは、少し黙った。紙の音も止まった。
「そうですか。うちは、午前中にしかかけていないんですけどね」
受話器を持ったまま、私は部屋の隅の白い電話機を見た。ランプは消えていて、ボタンの横には、私が四月に合わせた時計の数字が、変わらず光っていた。
