掃除当番表の名前

夕暮れ前のマンションのエントランス。壁の掲示板に貼られた白いホワイトボードの当番表。手前の床に洗剤のボトルと雑巾。人影はない。

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十月の最初の週に、三十四歳の吉岡は管理組合の会計係を引き継いだ。前任の宮下老人は鍵束と通帳と出納帳を紙袋に入れて渡すと、洗剤代だけはいつも合わないんですよ、と言い残して一階の自室へ引っこんだ。十二世帯の小さなマンションで、会計といっても仕事は月に一度の精算くらいのものだった。

最初に表を見たのはエントランスの掲示板の前だった。ホワイトボードに手書きの当番表が貼ってあり、十二の部屋番号の横に住人の名前が一週ずつ割りふられている。その一番下の余白に、細い字で白井と書き足されていた。住人の顔は郵便受けの前で一通り覚えたつもりだったが、白井という人には覚えがなかった。

「掲示板の白井さんは、何号室の方ですか」

宮下は戸口に立ったまま表のほうへ首をのばし、しばらく眺めてから、書いたのは私じゃありませんよ、と言った。それから話を打ち切るように夕飯の時間ですのでと扉を閉め、廊下には煮魚のにおいだけが残った。

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次の週は波多野で、その次は小田切だった。名前は決まって月曜の朝に前の週の名前の下へ同じ細い字で足されていて、住人に聞いてまわっても書いた覚えのある者は一人もいなかった。三階の主婦はいたずらでしょうけど気味が悪いわねえと眉をひそめ、四階の学生は面白いからそのままでいいんじゃないですかと言った。吉岡は防犯カメラの記録を確かめようとしたが、掲示板のあたりは古い機械の死角に入っていて、月曜の朝にはいつも誰の姿も映っていなかった。

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気味が悪かったのは名前よりも洗剤のほうだった。精算の日に領収書を並べてみると買った覚えのない量の洗剤が毎月なくなっていて、階段の手すりも集合ポストの扉も、誰が拭いたのか曇りひとつなく光っている。宮下の言ったとおり洗剤代は合わなかったが、名前の増えた週にかぎって帳簿の差は少しずつ縮んでいった。

吉岡は出納帳の余白に、増えた名前を週ごとに書き写してみた。白井、波多野、小田切、それから四週目の枝村と、五週目の久保田である。並べて眺めても読み方に決まりは見つからず、ただどの名前にも昔どこかの表札で見たような気がして、それ以上は考えないことにした。

*

十一月の最初の月曜に、吉岡は早起きをして掲示板の前でペンを握ったまま待った。七時をすぎても誰も降りてこず、エレベーターの階数表示だけが一階と二階を行き来していた。しびれを切らして洗面所へ立ち、戻ってきたのは七分後のことだった。

掲示板の前には誰もいなかった。表の一番下に、六つ目の名前が増えている。

細い字で書かれたその名前は吉岡だった。部屋番号の欄は空いたままで、となりに今日の日付だけが添えてあった。

握りしめたペンの先が、まだ濡れていた。

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