九月の終わり、秋学期が始まった。ひなたは理工学部の授業に、少しずつついていけなくなっていた。実験のレポートは毎週山のように出て、数式は見ているだけで頭が痛くなる。
「わたし、向いてないのかも」
ある夜、台所で一人レポートの紙をにらんでいると、時計は午前一時を回っていて、湯のみのお茶はとっくに冷めていた。
*
「眠れないの」
パジャマ姿のトメさんが台所に入ってきた。ひなたは慌ててレポートを隠そうとしたが、トメさんはかまわず隣に腰かけた。
「何か悩んでいるのね」
ひなたはうつむいた。
「大学の勉強が思っていたよりむずかしくて。それに、本当にやりたいのは星のことなのに、このまま理工学部でいいのか分からなくて」
トメさんはしばらく黙っていて、それから、ゆっくり口を開いた。
「わたしね、若いころ本当は学者になりたかったの。でも女だからって、道がなかった。だから天文台の事務として、星の近くで働くことにしたの」
ひなたは顔を上げた。トメさんは穏やかに続けた。
「遠回りだったわ。でもその遠回りの途中で、夫に出会って、星見荘ができて、あなたたちに会えた」
トメさんはひなたの手を包んだ。
「道はまっすぐじゃなくてもいいの。星だって、まっすぐには動かないでしょう」
*
ひなたは涙がにじんだ。
「わたし、学部はこのまま続けます。でも、天文サークルにも入ってみたいです」
「それは、すてきな遠回りね」
トメさんの声が、やわらかく台所に響いた。翌朝、ひなたは掲示板の天文サークルの勧誘ビラを、思い切って見に行った。「新入部員歓迎。初心者大歓迎」。ビラの文字が、いつもよりずっとあたたかく見えた。
坂の上の下宿から、ひなたは小さな一歩を踏み出した。それは遠回りの始まりだった。
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