星見坂の下宿 第4話 画家の青年と四角い空

アトリエの壁一面に立てかけられた、窓枠の形に切り取られた様々な色の空の絵。

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連載「星見坂の下宿」第4話/全10話(完結) 約2分で読めます

二〇三号室の住人は、ほとんど姿を見せなかった。名前は葉山蒼、二十五歳。アルバイトで生計を立てながら絵を描いていると、凛さんが教えてくれた。朝は遅くまで寝ていて夕方になるとふらりと出かけ、部屋のドアはいつも閉まっている。話しかけたことは一度もなく、廊下で会えば小さく会釈をするだけだった。それなのに、ある日の夕方、ひなたは思いがけず、葉山さんの部屋の前で足を止めてしまった。

*

ドアが少しだけ開いていたのだ。隙間から、壁一面に立てかけられたたくさんのキャンバスが見えた。どの絵も同じ構図で、窓から見える空を描いていた。ただ、その空はどれも四角く切り取られていて、窓枠の形のまま、青や茜や藍や白の空がいくつも並んでいる。

「見てもいいですよ」

後ろから声がした。振り向くと、画材の袋を肩にかけた葉山さんが立っていた。初めて聞く声は低くてやわらかかった。

「すみません、勝手に」

「いいんです。こっちがドアを閉め忘れただけだから」

*

部屋の中は絵の具の匂いが満ちていた。ひなたは一枚ずつ絵を見て回った。春の朝の空、梅雨の湿った空、夏の入道雲、夕立のあとの虹。どれも、窓から見えたその日の空だという。

「毎日一枚、同じ窓から同じ空を描くんです。二年続けています」

一枚の絵の前で、ひなたは足を止めた。深い藍色の背景に、無数の点がひっそりと散らばっている。

「これは、星ですか」

「ええ。この下宿に来て、初めて夜の空を描いた日です。屋根裏の望遠鏡をのぞかせてもらった、次の晩に」

葉山さんは少し照れくさそうに笑った。

「あのとき、空は描いても描いても描き終わらないものだと気づいたんです」

*

「どうして四角く切り取るんですか」

ひなたが聞くと、葉山さんは窓の外をじっと見つめた。

「空は大きすぎて描ききれない。だから窓というフレームを借りて、今日のほんの一部分だけを持ち帰るんです」

「持ち帰る、ですか」

「ええ。誰かに見せるためじゃなくて、今日という日があったことを忘れないために」

ひなたの気持ちがあたたかくなった。それは凛さんの星の話とも、トメさんの望遠鏡とも、どこか似ていた。別れ際、葉山さんが絵を一枚差し出した。夜明け前の薄紫の空だった。

「ひなたさんの部屋の窓から見える空を、描いておきました。よかったら」

ひなたは両手で絵を受け取った。

「ありがとうございます。大事にします」

葉山さんは照れたように頭をかいて、自分の部屋へ戻っていった。

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