星見坂の下宿 第3話 屋根裏の約束

屋根裏の丸いドームの天窓の下に据えられた古い望遠鏡。天窓から見える夜空に土星のような輪。

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連載「星見坂の下宿」第3話/全10話(完結) 約2分で読めます

五月の終わりの、風のない夜だった。ひなたが夕食の片づけをしていると、トメさんが台所の戸口からそっと顔をのぞかせた。

「ひなたちゃん。今夜、時間はあるかしら」

「はい、ありますけど」

「約束をひとつ、破らせてもらうわ」トメさんがいたずらっぽく目を細めた。「屋根裏に案内しましょう」

*

廊下の突き当たりの扉の向こうに、急な梯子があった。トメさんは一段ずつ上っていって、ひなたもあとに続く。屋根裏は思ったより広くて、天井の中央が丸くくりぬかれていて、その真下に、古びた大きな望遠鏡が置かれていた。

「これね、夫が作ったのよ」トメさんは望遠鏡の筒を撫でた。「若いころ、二人で山の天文台に勤めていたの。結婚してからここに下宿を開いて、屋根にドームをつけたのよ」

ひなたは息をのんだ。

「じゃあ、このドームは天体観測用だったんですね」

「ええ。でも夫が亡くなってから十年、誰も触ってないの」

トメさんの声は静かで、その静けさの中に、深い愛情があった。

*

トメさんがドームの天井を回すと、きしむ音がして、夜空がまあるくのぞいた。たくさんの星が、手の届きそうな近さでまたたいている。

「のぞいてごらんなさい」

ひなたはレンズに目を近づけた。真っ暗な視界の中に、白い点がぽつんと浮かんでいる。

「あれが、今夜の土星よ」

もう一度のぞきこんで、息を忘れた。白い点はただの点ではなくて、丸い本体のまわりを、薄い輪がぐるりと取り囲んでいたのだ。

「本当に、輪っかがある」

声が震えた。教科書で何度も見たあの姿が、目の前に、本物として浮かんでいる。トメさんは嬉しそうにうなずいた。

「夫も、初めて土星を見たとき、同じ声を出したのよ」

*

しばらくして、トメさんが言った。

「ひなたちゃん。この望遠鏡を、あなたに使ってほしいの」

ひなたはびっくりして顔を上げた。

「わたしが、ですか。何も知りませんよ」

「だいじょうぶ。わたしが教えるわ。夫とわたしが教わったことを、ぜんぶ」

トメさんは望遠鏡の筒に手を置いた。

「この下宿の住人は、みんな星が好きになるのよ。ふしぎなことにね」

ひなたはうなずいた。天窓から入った風が、頬をやさしくなでていく。その夜、ひなたは星の名前をひとつ覚えた。それが、星見荘での新しい日課の始まりだった。

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