雨宿りの本屋

夕立の中の小さな本屋の軒下。窓に灯る暖かい明かりと、濡れた石畳に映る光。

執筆者:

カテゴリ:

約3分で読めます

夕立は、前触れなく降ってきた。青木は書類の入った鞄を頭にかざして、商店街の路地へ駆け込み、目に入った軒下に飛びこんだ。そこは小さな本屋の庇だった。

「どうぞ、お入りください」

古びた引き戸が内側から開いて、眼鏡をかけた老人が、帳場の奥からにこにこと手招きしている。濡れた鞄の水を払って足を踏み入れると、狭い店だった。天井まで届く棚に背表紙が隙間なく並び、紙とインクの匂いの中で、雨の音が遠くくぐもって聞こえた。

*

「雨が上がるまで、ごゆっくり」と老人は言った。「もしお時間があるなら、一冊だけお貸ししましょうか」

「貸す? 売るのではなく」

「ええ。雨宿りの間だけお貸しします。お気に召したら、そのときにお代をいただきます」

奇妙な商売だな、と青木は思った。けれど窓の外はまだ雨の壁で、断る理由はなかった。老人は青木の顔をじっと見つめると、棚の一角へ歩いていって、迷いなく薄い一冊を抜き取った。

「あなたには、これがよいと思います」

表紙は無地の紺色で、題は「ひとやすみ」。聞いたことのない本だった。開くと、短い詩のようなものが数行ずつ並んでいて、難しい言葉はひとつもない。

急がなくていい日が、ひとつくらいあってもいい。

最初のページの一文を読んで、青木は胸の奥がきゅっとなった。三か月、まともに休んでいない。今日も外回りの合間に、昼ごはんを食べ損ねていた。

*

帳場の隣の丸椅子に腰かけて、青木は読み進めた。ページをめくるたびに、肩の力が少しずつ抜けていく。雨の音が遠くで拍子をとっているうちに、一時間があっという間に過ぎて、老人が湯気の立つ麦茶を隣に置いてくれた。

「雨は、もう少し続きそうですね」

「すみません、長居してしまって」

「いいえ。この店は、雨宿りのためにありますから」

最後のページを閉じたとき、窓の向こうはうっすらと明るくなっていた。雨は上がっていた。青木は立ち上がって、本を差し出した。

「ありがとうございました。あの、お代はいくらですか」

老人は本を受け取らなかった。

「それは、あなたに貸した一冊です。お代はいりません。気に入ったのなら、どうぞ持ち帰ってください」

「でも、さっきはお気に召したらお代をと」

老人はいたずらっぽく笑った。

「お気に召したときは、また雨宿りに来てください。それがお代です」

*

青木は紺色の本を鞄に入れて店を出た。濡れた路地に夕日が細く射していて、振り返ると、本屋の看板が水たまりに小さく映っている。それから青木は、雨の日が少し好きになった。傘を持たない日に限って夕立が降る、という不思議もあるのだけれど。

次の雨の日には、あの本屋の戸をもう一度叩くつもりだ。今度は自分の足で、ゆっくりと歩いていこう。

ほかの短編小説