岡部の言い訳は、うちの課では芸術の域にあった。月曜は「踏切で前の軽トラが脱輪して、JAFが来るまで荷台の梨を押さえていた」と言い、火曜は「ゴミ出しの途中で、収集車の運転手に結婚相談を受けた」と言った。どれも細部がやけに具体的で、梨は二十世紀だったし、運転手の彼女は鹿児島の人だった。聞き終えるころには、遅れた岡部より、遅れさせた世間のほうが悪いような空気になる。課長の木村さんは毎回、口を半分開けて反論を探し、見つからないまま「次から気をつけて」と言って自席に戻っていった。
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その水曜の朝、岡部が出社したのは九時四十分だった。ネクタイは曲がり、右の靴下には枯れ葉が一枚くっついている。課の全員がキーボードから手を離して、今日はどんな話が聞けるのかと身を乗り出した。
「すみません。今日は、本当のことを言います」
島の端で、佐藤さんが「うわ、来た」と小声で言った。岡部は上着も脱がずに、息を整えてから続けた。
「家を出てすぐの角で、自分と同じ顔の男に会いました。向こうも会社へ行くところだと言うので、どちらが行くかで二十分揉めました。向こうは『俺のほうが先にこの顔で生まれた』と言い張るし、こっちは定期券を見せても通じないしで、収まりがつかなくて。結局、じゃんけんで負けて、こっちが遅れてきたんです」
オフィスに、空調の音だけが残った。誰かの湯のみが、受け皿に触れてかちりと鳴った。木村さんは眼鏡を外し、レンズをワイシャツの裾で拭いてから、もう一度かけ直した。
「岡部くん」
「はい」
「君らしくないな。いつもの君なら、もう少し信じられる話をするだろう」
「本当なんです。向こうは先に行ったので、たぶんもう席にいるかと」
「いないよ」と、木村さんは言った。「今日の始業点呼は、君の席だけ空いていた」
岡部は何か言いかけて、口を閉じた。窓の外では、向かいのビルの清掃ゴンドラが、ゆらゆらと上へ昇っていく。佐藤さんは気の毒そうに首を振り、経理の女性は、疲れているなら有休を使いなさいと声をかけた。岡部の机には、いつのまにか誰かが置いた栄養ドリンクが一本載っていた。
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翌日、岡部は九時十五分に来た。今度は背筋を伸ばして、いつもの、よく通る声で頭を下げた。
「申し訳ありません。信号機の故障で、中央線が止まっておりまして。ホームも改札も、人であふれておりました」
全員が、ほっとした顔でうなずいた。木村さんは「大変だったね」と言って、遅延証明書も求めなかった。
その日、中央線は一分も遅れていなかった。
