近所に、開店の三十分前から行列のできるパン屋がある。店ができた頃、わたしはその列を遠くから見ているだけで、わざわざ並ぶほどのことか、と心のどこかで思っていた。一年前の秋、友人に誘われて初めて並んでみた。土曜日の朝七時半から、待つこと二十五分。その二十五分が、思いのほか穏やかだった。
並ぶ人の背中を見る
列にはいろいろな人がいる。ベビーカーを押す若い夫婦、杖をついた老夫婦、部活の練習着の中学生。スマートフォンを見ている人もいれば、ただ空を見上げている人もいる。わたしの前にいたのは、八十代くらいの女性で、手編みのかごを持っていた。
「ここのバゲットが好きでね。もう十年になるのよ」
振り向いて話しかけてくれたのをきっかけに、初対面なのに不思議と世間話が続いた。孫の話、昔の商店街の話、おすすめのパンの食べ方と、二十五分はあっという間に過ぎた。
急がないことの贅沢
わたしの日常は、ふだん急いでばかりだ。電車の乗り換えは最短で、昼ごはんは五分で、返信はすぐに。「待つ」という時間がほとんどない。けれどパン屋の列では、待つことが前提になっている。急いでも列は進まないから、気持ちがすっとゆるむ。焼きたてのパンの匂いが少しずつ近づいてくるのを楽しみながら待つ。待たされているのではなく、待つことを選んでいる。その違いは案外大きい。
ふつうの朝が特別になる
店に入ってトレイを持つと、さっきまでの落ち着いた気持ちが、うれしさに変わる。選ぶのはいつも、バゲットとクロワッサン、それに季節のデニッシュで、袋を抱えて帰る道はずいぶん軽い。家に着いたらコーヒーを淹れて、焼きたてのパンをちぎって食べる。特別な朝食でもなんでもないけれど、並んだ時間があるぶん、味が少し深くなる気がする。
土曜日の朝のこの時間が、わたしの一週間の杭になっている。急がない時間を一度持っておくことは、暮らしを少し立て直してくれる。今度の土曜日も、あの列に並ぶつもりだ。前に立つ誰かと、また世間話ができたらいいなと思いながら。
