十二月も半ばになった朝、預かり所のカウンターに、百円玉が一枚のっていた。
わたしは放課後にしか来ないので、見たのは八重子さんの話を聞いてからだ。八重子さんは、朝の七時にここの戸を開ける。鍵は、八重子さんの手元にしかない。それなのに、カウンターの真ん中には、毎朝、百円玉がぽつんと置かれているのだという。もう十日になる。
「落とし物ではないのよ」と八重子さんは、重々しく言った。「落とし物は、拾った人が届けるもの。置いていく人は、何かを返しているの」
「何かって」
「それを探すのが、わたしたちの仕事」
わたしたち、と言われても、まだ引き受けた覚えはなかったけれど、塩大福はもう口の中にあった。
*
その翌朝、わたしは六時前に預かり所へ行った。部屋は寒くて、吐く息が白かった。カウンターには何もなかった。わたしは、窓の下の椅子に座って、待った。窓の掛け金が壊れていることは、この前の掃除のときに気づいていた。ここなら、外から手を差し込める。
六時十分、遠くで新聞受けの金属がかちゃんと鳴った。商店街は、いつもこの時間に新聞が届く。それから、足音がひとつ、近づいてきた。わたしは息を止めて、窓の隙間を見た。
白い手が、にゅっと伸びてきた。冷たそうに赤くなった指先で、百円玉をつまんでいる。指の腹が、黒くよごれていた。インクだ、と思った瞬間、手がカウンターに百円玉をそっと置いて、すぐ引っこんだ。
わたしは窓を開けて、外に飛び出した。路地の向こうを、自転車にまたがった男の子が走っていく。ジャンパーの背中に、新聞のロゴが入った肩かけの袋が揺れていた。
「ちょっと待って」
自転車が止まった。振り向いた顔は中学生くらいで、ひどく緊張していた。
*
ここまでで、手がかりは出そろっている。百円玉は冷たく、指にはインクの汚れがあって、時間は新聞が届く六時すぎ。そこまでそろえば、誰だって、新聞配達の子だと思うだろう。
「ごめんなさい。ぼく、ユウタです」と男の子は言った。「もう、やめます」
わたしは困ってしまった。やめられると困る。理由が分からないままだ。そこへ、八重子さんがスリッパの音をぱたぱた鳴らして出てきた。コートの下はパジャマで、手には塩大福を持っている。
「今朝は、いつもより早起きしたのよ」
八重子さんはユウタ君をじっと見て、それから笑った。
「半年前の寒い朝、うちの前でしゃがみこんでた子ね。手がかじかんで、新聞が持てなくなって」
ユウタ君の顔が、みるみる赤くなった。
「あのとき、お茶と大福をくださったから。ぼく、ありがとうって言えなくて」
「それで、毎朝」
「お金にしたら、返せるかなって」
八重子さんは、手の中の大福を見て、ふっと息をついた。
「あのね、ユウタ君。大福は、一個百二十円なの」
「……え」
「毎朝百円ずつだと、二十円ずつ足りないのよ」
ユウタ君は、ぽかんと口を開けた。それから、八重子さんの顔と大福を見くらべて、しどろもどろに言った。
「あの、じゃあ、明日、百二十円」
「だめ。それだと、今日で終わっちゃうでしょう」
八重子さんは、大福をユウタ君の手に持たせた。
「今日から毎朝、大福をひとつ渡します。代金は百円。ただし、二十円はずっと貸しにしておくこと。返さないでいい貸しは、返しに来る理由になるの」
ユウタ君は大福を握りしめて、何度もうなずいた。それから自転車にまたがって、配達の続きに走っていった。
*
「八重子さん」
「なに」
「あれ、最初から、返してもらう気ないですよね」
「あるわよ。二十円」
朝の光が、路地の奥から差しこんできた。八重子さんは、カウンターの百円玉を、空き瓶の中に落とした。ちゃりん、と音がした。
