信号の青は青色の灯火 第4章
交差点の灯火が緑寄りに見えるときがある。耳の地図は、なお青と呼ぶ。見た目と名前は、同じ物差しでは重ならない。府警の公開説明は、なぜ青と呼ぶのか、という問いに二つの補助線を置く。一つは、色の三原色(赤・青・黄)に寄せた呼びやすさだ。赤と黄と並べるとき、青と呼ぶ方が理解しやすい、という整理がある。大阪のFAQも、三原色に寄せた呼び方として青を置く。もう一つは、日本語の「青」の幅だ。青葉や青物のように、緑寄りのものも青と呼ぶ例がある、と広島の公開説明は触れる。青の幅は、緑寄りを青と呼ぶ語感を支える補助線だ。見た目が緑寄りでも、名前の青は落ちない。緑に見えるから間違い、という地図ではない。見た目の語感と、口にした青を、一語に畳まない。見え方の層と、呼び名の層は、入口が違う。同じ灯を指していても、物差しは重ならない。見え方の緑寄りと、呼び名の青は、並んで立つ。
府警FAQの範囲では、昭和四十八年以降の灯器は青寄りに改良された、と読める。大分の公開説明は、それ以前の灯は緑寄りに見えやすい場合がある、という骨を置く。大阪のFAQは、いまの法令は青と書き、灯火も青へ寄ってきた、と整理する。広島のFAQも、昭和四十八年以降に色合いが青へ寄った、という流れを記す。海外ではgreen lightと呼ぶ例がある、という一行で足りる。優劣の話ではない。呼び方の地図が国ごとに違う、という幅だけだ。公開説明が置く言い方の範囲にとどめる。三原色の呼びやすさと、青葉・青物の語感と、灯器の寄る話が、青と呼ぶ理由の骨になる。断定の年表ではなく、FAQが重ねる補助線だ。見え方のずれは残っても、呼び名の青は立つ。見え方の幅と、呼び名の歴史が並ぶだけだ。紙の語と、耳の語と、灯の色合いを、同じ時計では読まない。寄せの話と、幅の話は、別の層だ。改良の一行は、見え方を一本化する宣言ではない。幅が残る前提で、青寄りへ寄せた、と読める。
先に置くのは、緑に見えても青と呼ぶ理由がある、という一段だけだ。見え方の幅と呼び名の歴史として閉じる。矢印や人の形の記号を有する青色の灯火は、あとの地図として残す。形が細かくなっても、青の語は残るか、という問いへは降りない。公開説明の骨は、断定の条文引用ではなく、なぜ青か、への整理だ。大阪・大分・広島のFAQを並べると、向きは揃う。見た目の緑寄りと、名前の青を、分けて持つ。耳の青と、法令の青色の灯火は、ここでいったん揃う。緑寄りに見える灯を、青と呼ぶ理由は、見え方の幅と呼び名の歴史にある。三つのFAQは、言い回しは違っても、補助線の芯は同じだ。見た目と名前の地図を、分けたまま持つ。信号の青は青色の灯火だ。
参考:大阪府警「青信号は緑色に見えるのに…」/大分県警「青信号というのになぜ緑色…」/広島県警「信号は、青色?それとも緑色?」
次の章:矢印や人の形でも名前は青のまま